怪奇、もとい皆既日蝕

Filed under: BLOG — ikeda @ 2009.07.07

 この土日、取材の仕込みの一環で、7月22日にトカラ列島付近で見られる「皆既日食」についてを色々と調べていたら、かなりそれらについての知識が豊かになった。(よく考えたら、日食って表現ってダイレクトですごいな。日食日蝕の方がいいかも…。ちなみに英語だとSolar Eclipse です)。

 文献も含め、アップロードの動画もかなり多数見て、そのロマンと刹那、美しさと壮観さに魅了され、心は遥か1999年のエジプトや1986年の小笠原諸島等々、世界各国の地で空を見上げている自分を想像し、夢を馳せていた。
 もちろん来る今年の7月22日の日食への渡航は夢のまた夢なので、当日はダイエーで行われる予定のリアル・タイム中継でも観たいなと思っていたが、職場近く及び自宅近くにダイエーが全くないことを先程知る。
 またどなたかのアップロードを期待するとしよう。

 あーぁ、「ダイアモンドリング(皆既日食の際、その前後一瞬、月の影から太陽の光が一か所だけから漏れ出て輝くこと。1stガンダムのオープニング映像を月手前&太陽奥に見立てた感じ)」を、生で見たら、きっと歓喜の声はおろか、よだれだらーっと垂らして、見ちゃうんだろうなぁ。

 そう言えば、かいきにっしょく=皆既日食、怪奇日食でないことを知った、小学校中学年ころに、”部分日食が見れるかもしれない”という情報を当時の児童雑誌で入手。”是非、この目で見てみたい!!”との思いを胸に、事前に太陽を直視するには何が良いか、を色々と試したっけ。 たとえば、昔野球帽の内側に折り曲げてあった色フィルムで見たり(これや、メッシュのゴーグルみたいなのは何の使用途があったのだろう?今思えば謎だ)、薄い色つきフィルム紙を重ねて見たり、親父のサングラスを借りて見たり…、と色々チャレンジしつつも、そんなもんであの強靭なルックスを直視することなど出来るはずもなく、0.5秒で撃沈。その度に、瞼の裏にしばらく残る残像やガンガンと残る頭痛と戦っていたのだった。
 そんな中、見つけたのが、写真のフィルムを何枚も重ねたり、真っ黒い下敷きを通して見る方法。これらを用い、晴天で太陽燦々な中でも、太陽の丸い形がはっきり見えた時は嬉しかったな。うれしくって、ズーっと見ていた気がする。

 そして、その当日は絶好の晴天。「昼近くに起こる」とのその児童誌に従い、前後ずっと例の黒下敷きを重ねたもので太陽を直視していたんだけど、一向に太陽が欠けない。1時近くまで見ていたが全く起こらない。で、”おかしいな”と、よくよく本をひっくり返すと、自分の住んでいるところからでは見れないことが発覚。どおりで学校で何も話題にならなかったはずだと、一人納得したのであった。
 あの日以来、僕は空を見上げなくなった。なんてね(笑)。

P.S 先日の三沢光晴さんの告別式での北斗晶のコメントには感動したなぁ。
みんな「マットで死ねて幸せだ」とか「本望だろう」と手向けてはいるが、実際のところ本音は彼女の言うところにちがいない。愛があってこその鬼嫁!!まさに北斗に「鬼子母神」を見た。

 

【LUCKON】を開く 【LUCK'A PLANET】を開く
aquarifa PLAYBUTTON 発売中” title= LOVEHUMAN

ENTRIES

BLOG」カテゴリの記事

ARCHIVES

TAGS

SEARCH