フジファブリック 志村君のこと

Filed under: BLOG — タグ: — ikeda @ 2010.01.05

明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

今年は、このブログの更新頻度を上げたいと思っています。
目指せ、ツイッタ―ばりの更新頻度。
まっ、あまり期待しないで下さい(笑)。

この年末年始も幾つか、トホホな話があったのですが、それは次の機会に。

まずは、新年早々あまり明るい話ではないのですが、やはりここはレクイエムとして外せないと思い、昨年12月24日に急逝した、フジファブリックの志村くんとの想い出話しを追悼の意を込めて送りたいと思います。

正直、この5年ぐらいは全く接点が途絶えていたのですが、僕が志村君と会ったのは、彼がまだ学生だった9年前。後にメレンゲや音速ラインを輩出する「ソング・クラックス」を主宰、当時新宿ロフトでブッキングを担当し、共同企画のイベントを一緒に年に何度かやっていた樋口女史を介してでした。
その樋口さんが「その年の秋に初の作品をリリースするんだ」と、2001年の暮れに、新宿ロフトで行われた誰かのライヴだったんじゃないかな。

その後、彼らには2002年6月30日の『Colorfull Holic Vol.5』、2003年3月1日の『L☆SELDOM』と、僕が主催するライヴ・イベントに2度ほど出演してもらって、時間が押しているのもお構いなしで、出演時間を遥かに上回る時間のライヴを行ったことが印象的。もうどうにでもなれ!!って自暴自棄になりながらも、笑って観ていました。しかも、その内容もMCが超長く、いつもグダグダ。『Colorfull Holic Vol.5』の時なんて、確か日本でワールドカップが行われたフィーバーぶりもあり、出番まで楽屋でずっとサッカー観戦しており、いざ出番となると、会場には、帰って結果を楽しみにしている人も多い中、あっさりと勝敗を報告。フロアの失笑を買ってました。また、その後の打ち上げ等では、飲むと同じことを熱く何度もグダグダ繰り返して語っていたのが印象に残ってます。
これらも今となっては懐かししい想い出です。

その後、2003年の3月には、僕の監修したコンピ『D☆SELDOM』の「其の4」に1曲、当時はまだ未発表だった「環状七号線」を提供してくれたっけ。あの時は感激だったな。

その後、メンバーも代わっていき、フィールドをメジャーに移すも、ライヴはことある度に目にしていました。今でも、あの変態性とポップ性の同居は、やはり彼らならではだと思います。

ホント、惜しい才能を亡くしました。
謹んでお悔やみ申し上げます。

話変わり。
ここのところの僕のワーキングです。

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